結婚式という悪習を根絶したい

今の時代背景に結婚式というものは悪習文化になりつつあると思う。


昔は家と家の挨拶、近所などの地縁者たちへの紹介の義務があった。

その土地に生まれてその土地を受け継いで死んでいくことが当たり前だったから。集落、ムラ、その地に余所者が来るわけだからどんな人物なのか、出所を知り、その地の治安を維持するためにも、結婚式の役割はあった。


しかし、今現在、ある程度、学がある子供は都会へ仕事へ生まれ育った土地を離れ、その土地へは戻らないという(戻りたくても戻れない)、今までの地縁システムが崩壊している。現に、日本は空き家だらけだし、団地なんていう一世帯型居住区は高齢化で廃墟と化している。


アパート、マンションに住んでいて隣の住人の名前も知らなければ、引っ越しの挨拶もしない。昔なら、その土地に余所者が来るわけだから引っ越しの挨拶なんてのも必須だっただろう。


そんな現代において、結婚式をやる意味をもう一度振り返ってみると


・家族同士の仲を深めたい

→勝手に家族同士でやってくれ。


・人生の主役は三度しかない(生まれたとき、結婚式、葬式。意識があるのは結婚式のみ)→三度しかないような人生を歩むな。常に主役の気持ちで人生全うしろ。


・周りに紹介をしたい。

→食事会や飲み会とかじゃだめなのか?


結婚式をやる意味が薄れてきている。まず、何百万というお金をかけてまでやることなのかと疑問。


心からお祝いしたい、おめでとうを伝えたいという場合もあるが、招待している人みんながそう思っているのだろうか。


三万円以上の出費(交通費、おめかし料金、二次会費用)を喜んで支払う者ばかりだろうか。


金銭トラブルでいえば、

交通費がなかった、引き出物これだけか、

祝儀が一万円だけだった、、など他人に金を援助させてまで、何百万という結婚式をやるものだから、快く思う人ばかりではないだろう。

結婚式をきっかけに、お金という貸し借りができ、友人関係が微妙になってしまうパターンも大いにしてある。


それでも、自己顕示欲のために、アテクシのウェディングドレスを見て!というためならば、ご祝儀はなく、自己負担でやるべきだ。後腐れなく、友人関係破綻の可能性もない。


心からお祝いしたい、おめでとうを伝えたいと思える、思ってもらえる結婚式はなにか。

そう考えると、何百万という結婚式スタイルは高度経済成長、バブル崩壊とともに時代のお荷物となり、時代に合っていないのではないか。


今や結婚式場、ゼクシィなどが、必死に軽薄な結婚式の意味を煽っている。


地縁の濃度が薄くなっている今、本来の結婚式の意味にこだわり、挙げないといけない義務があるパターンは少なくなってきている。

核家族化がすすみ、その土地で生まれてその土地で死んでいく地縁スタイルがなくなっている現代に合った、「婚約者紹介パーティー」を考えるべきではないか。